ベッドの下男
第一志望の最終面接のために東京に出てきた地方大学4年生の私は、すでに東京で働いているお姉ちゃんの部屋で一晩泊めてもらうことになった。
「ねぇ、面接どうだった?ちゃんと答えられた?」
「…うん。多分。」
「ほんと?なんか頼りない答えね。面接でもそんなんだったんじゃないでしょうね。」
「大丈夫だよ、面接っていうより、ほとんど世間話みたいな感じだったし…。ただ、やっぱり緊張してたのかな、ちょっと疲れちゃった。」
「そう?じゃぁ、今日は内々定の顔見せみたいなものだったのかもね。うん。じゃぁ今日はゆっくり休みなさい。明日は私が東京を案内してあげるから。」
「…うん、ありがとう。」
私はお姉ちゃんが苦手だ。美人で頭が良くて、それでいて嫌味のない性格の誰からも好かれる理想の姉。私とはまるで違う姉への劣等感がそう感じさせるのかもしれない。つい気の無い返事を返してしまう。
気まずさから無言になった私を気にすることもなく、お姉ちゃんはベッドの上でストレッチをしながらテレビを見ている。もしかしたらヨガとか言う奴かもしれないが私には良く分からない。
部屋の中を見回す。お姉ちゃんが乗っているベッドはたっぷりとしたシーツがスカートのように床まで届いていて、ホテルのベッドのように見える。隣にある装飾の無いシンプルな白いチェストの上には、これもシンプルな四角いガラスのフラワーベースに小さな白い花が生けられている。名前はわからないが、その小ささに似合わない甘い花の香りが部屋中に広がっている。
「花。すごいね」
沈黙に耐えかねて、思いついたことを声に出す。
「そう?そうね、ちょっとキツイかもしれないわね。ちょっと待って、今空気入れ替えるから。」
お姉ちゃんは私の返事を待たずにベランダの前までいくと、クレセント錠をカチャリと回して窓を開けた。
途端「ビュウオ」とまるで台風でも来ているかのような風が部屋の中に吹き込んできた。
最初の突風が通り過ぎたあとも部屋の中に吹きこみ続ける風に、あわてて窓を閉める。
「すごい風。でも、おかげで換気はばっちり出来たわね。」
笑いながらこちらに振りかえる。たしかに甘ったるかった空気は、かすかな香りを残して吹き飛んでしまった。風で飛んだ書類を机に置きなおしたお姉ちゃんはベッドの上に戻ると、うつ伏せになって片足を上げたポーズを取った。先ほどの続きだろう。
ピンと伸びた細い足が天井をさす。スラリとした足に見とれていた自分に気がついて、あわてて視線を下にそらす。
!?
先ほどの風のせいだろうか。シーツのスカートが少しめくれ上がってベッドの下が見えるようになっていて、その隙間に何かが見えたような気がした。しかしシーツと床の隙間は狭くてよく見えない。気になった私は目を細めて隙間をのぞこうとした。
その時、ベッドの上のお姉ちゃんが体勢を変えた拍子でシーツが引っ張り上げられて視界が広がった。
そこには、充血した目をカッと見開いて仰向けに寝転がる男の横顔が見えた。その目はまるでベッドの上にいるお姉ちゃんを睨みつけるかのように一点を凝視してピクリとも動かない。
私は、あまりの事に頭が真っ白になり男の横顔から目をそらすことも出来ずに固まっていた。
あらわれた時と同じようにいきなり男の顔が視界から消える。お姉ちゃんがまた体勢を変えたためにシーツが元に戻ったのだ。それと同時に私も現実の世界に引き戻される。
「お、お姉ちゃん。この辺…コンビニとか、無いかな。」
「え?そりゃあるけど、買い物行きたいの?もう遅いし、疲れてるんじゃなかったっけ?」
「うん、だけど行きたいの。ねぇお姉ちゃん行こう。お願い。」
「だけど、この前もこの付近で行方不明になる事件があったみたいだし…明日じゃ駄目なの?」
「お願いだから、お姉ちゃん。ホントお願い。コンビニ行きたいの。連れて行って。」
「…まぁいいけど。じゃぁちょっと待って。」
そういうとお姉ちゃんは、ベッドから降りて机の上の鍵束をとりあげた。
「はやく行こう」
いつベッドの下からあの男が飛び出してくるのか、気が気ではない私は玄関からベッドを凝視したままお姉ちゃんをせっついた。
「お姉ちゃん早く。」
「はいはい。」
上着をはおり、ようやく靴を履いたお姉ちゃんが外に出てドアに鍵をかける。それを確認した私はおねえちゃんの手を引っ張るようにしてマンションの外に出た。風は少し弱くなっていた。
「なによー。そんなに引っ張らなくてもいいじゃない。って言うかコンビニ反対だよ。」
お姉ちゃんは、いつも通りのまっすぐな視線で私の方を向いて文句を言う。
いつもの私ならその視線に負けてしまうのだが、今はそんなことを言ってられない。文句を言うお姉ちゃんを無視して手を引っ張り続ける。角を1つ、2つ曲がる。3つ目の角を曲がったところでようやく心に少し余裕が出来た。
「あ、あのねお姉ちゃん。部屋に誰か知らない男がいたの。」
足だけは動かしながら今見たことをお姉ちゃんに伝える。
「ベッドの下に?そんなのいるわけ無いじゃない。見間違いとかじゃないの?」
お姉ちゃんは私の手を振りほどいて立ち止まる。
「見間違いじゃないって!ホントに見たの。真っ赤に充血した目を見開いてベッドのお姉ちゃんを睨みつけてるみたいだったのよ。」
「面接で疲れて幻でも見たんじゃないの。」
「違うってば。ほらさっきお姉ちゃんこの辺で行方不明事件があったって言ってたでしょう。もしかしたら、その犯人かもしれないし…」
お姉ちゃんは驚いているのか返事もせずに私の方を見つめる。部屋から離れた安心感からか、いつもの自分に戻った私はその視線に絶えられなくなり思わず視線をはずした。その先には電信柱にはられたポスターが待っていた。
「だから警察に行こ。ね、お姉ちゃん…」
しゃべりながらも視線はお姉ちゃんの背後のポスターを見つめる。そこには3日前にこのあたりで行方不明になった青年の顔写真と連絡先が書かれていた。
「…ねぇお姉ちゃん…」
そのポスターの顔は充血した目でお姉ちゃんの方を見ているようにみえる。そう、まるで睨みつけるような目で。
「お、ねえ、、ちゃん、、?」
返事をしないお姉ちゃんのほうにそっと視線を戻す。
お姉ちゃんは私の方をじっと見ていた。透き通ったガラスのような瞳で私を見つめながら、ゆっくりと口を開いた…。感情のない涼やかな声が聞こえる。
「見 ち ゃ っ た ん だ 。」